ラッセルは、その尊敬する数理哲学者ライプニッツについて、「かれはいくらか金にけちであった」、と『西洋哲学史』(A History of Western Philosophy, 1945.)のなかで書いている。ハンノーフェル宮延(注:ハノーファー家;ハノーヴァー家)の若い娘たちが結婚する際、王室顧問のライプニッツは、「結婚祝のプレゼント」として、いつも「洗濯をやめてはいけないよ」という「金言」しか与えなかったというのである。『哲学史』のなかで、こういうエピソードをさし込んだラッセルは、ここの所がライプニッツとはちがうようである。ラッセルには、もう少々お色気があった。
ラッセルによれば、ライプニッツの生前に出版された本は、みんな宮廷の王妃あてに書かれたものである。だからそれらは、みんな社交用哲学であり、いい加減なものと見なしてよい。遺稿として残されたものに、本物のライプニッツがある。不朽の価値をもった論理学がそれであるという。
ライプニッツは、女性にはまるで関心のなかった人である。生涯不婚で、浮いたロマンスなど、薬にしたくもない。それをラッセルは、別に問題にしているわけではない。しかし、内心ではおかしく思っていたかもわからない。四度も結婚した経験の持ち主としては、そこの所をラッセルにきいてみたかった気持ちも、わたしにはある。
ところで、こういう生男(きおとこ)のライプニッツについて、その生涯を小説に書いた人がドイツにはある。少し古い本であるが、エグモント・コレルスの『小説ライプニッツ』がそれである。(Egmont Colerus: Leibniz der Lebensroman eines weltumfassenden Geistes, 1934.)