バートランド・ラッセルは無神論者であると言われている。一九二七年出版された彼の講演「なぜ私はキリスト教徒でないか(Why I am not a Christian?)」その他、彼の宗教論を読むと当然無神論者という結論がでてくる。ラッセルは教会の歴史的過誤を痛烈に非難するだけではなく、教会の基本的教義に挑戦する。またラッセルは宗教の定義を「自分自身を楽しくする目的をもって、ナンセンスの集合を信じようとする欲求」であると放言している。ところで彼自身が自分をどう思っていたかというに彼は「私が無神論者であるか、不可知論者であるか、私は確かではない。だから時としては前者になり、時としては後者になる」と言っている。私はこれが彼の本音だと思う。ところでどっちに重点がおかれていたかというに若い頃、即ちキリスト教会やキリスト教の教義が権威を持っていた頃には彼の無神論が目立ち、晩年(この晩年が実に長く続いた)になってからは不可知論の方が強く現われている。ラッセル自身にとっては実はどっちでもよかったのではあるまいか。ラッセル自身にとってどっちでもよかったのであるから、世間が彼の思想をどう思っても大した問題ではないはずである。
従って「世間」の一部を構成している私も、彼が真実の無神論者であったか、不可知論者であったかを特に問題にしようとは思わない。私が問題にしたいのは自分がラッセルとは違って無神論者でも不可知論者でもないと思っている人が「何であるか」である。